ことば

友達と話すなかで、
私のなかの大切な言葉が今また思い出された。

何年も前にある人からいただいた言葉。
ふっと思い出すその時々で陰影を変えながら、
しかも都度おどろくほどのみずみずしさで、
何回でも何回でも入ってくる。
ことほど、言葉とは、いきもののよう。

「でもね。
ちくっとしたらよける、っていうことは、
とても大事なことなの。
丁寧に生きるって、
そういうことだと思うのよ。」

ちくっとしたそのときに、
刺した相手(とか、痛みの原因)に憤ったり、
痛くなかったふりをしたり、
痛みに耐えたり立ち向かったり、
その反応は、いろいろ。
痛みに気づかないときすらある。

その方は、ただただ、
痛いなと思ったらよけなさいと言った。
なんてシンプルなことだろう。
それが自分の体に対する責任で、
そこにこそ、誠実でありなさいと。

私は、傷をひらいてみたり、
なぜ痛かったんだろうと追求したりしがちで、
時にはあろうことか、そのちくちくから離れずに
「痛い」「ああ痛い」「ほんっとに痛いぞ」と
痛さを確認し続けたりもしていた。
そして、どこかでそれらのことをこそ
"丁寧さ"だと思っていた。

彼女はさらに、笑ってこう言ったのだ。

「他人なんて、愛さなくっていいの。
自分を愛しなさい。」

そのとき私は、この言葉を
譲歩つきで理解した。
「無理をしてまで」他人を愛そうとしなくていいのよ、
というようなことをおっしゃったのかな、と。

でもそれから何年かたって、
これは文字通りのことばだったんだ、と気づいた。
自と他が自分の内側でベロンとひっくりかえるような体験のあと、
ふとしたときに、この言葉が入ってきた。

「他人なんて」
「愛さなくって」
「いいんだ」
(吃驚)

それは、本当に驚愕だった。
愛と呼ばれるもののベクトルは
1ミリだって自分の中心からはずしちゃいけない。
分割して何割かは向かう先を分散させていいもの、
なんかじゃない。
あんなふうに笑って軽やかに、
すごいことを言ってたんだ、と思った。

でもそれだって、その言葉の真理、とかじゃない。
と、今思う。
私がそう受け取っただけ、という意味では、
言われた当初とそのときと何も違わないんだ。

その方は、もういない。
いないけど、言葉は生き続けている。
これから先も、きっと違う光を帯びたりしながら、
時々私をびっくりさせながら、
蛇みたいに鳥みたいに、ツタみたいに、
言葉は生きていくんだろうな。

わたしのなかには、
本当にたくさんの人がくれた言葉がいる。
それらが生きてくれている限り、
私のこころは死なないだろうと思う。
比喩じゃなく、思想としてでもなく、
具体的なものとして確かにそう思う。
それがとてもうれしい。
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by sho-ji21 | 2012-07-16 08:13

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