つれづれ


我が家のお米も無事に収穫を迎え、秋晴れのなか"はざ干し"中。
今年は何も手伝えず夫まかせだったけれど。
(お世話になった方々ありがとうございました。)
ここ数日の溢れんばかりの日差しの神々しさといったらない。
さぞや美味しいお米になるだろう!
次の1年を思い、ふつふつと満ちてくるような喜びを感じます。
なんて豊かなこと。

 ◇

先週、村で結婚のご挨拶の会をした。
ずっと体が動かなかったので
出産前は厳しいねと言っていたのだけど、
「年内のご挨拶を」との思いはあって、
落ち着いてきた今、小規模でもと滑り込み臨月まえに。
(遠方のみなさまにはお声をかけられず、
申し訳ありませんでした。)

友人の古民家を会場にお借りして
みなさんにつくっていただいた会は、
小規模なんてものではなかった。
沢山の方が思いを持ち寄ってきてくださった。
ハタチそこそこの小僧っ子だった夫が現在に至るまで
この地で築いてきた人とのつながりの濃さを改めて感じたし、
そのあまりの尊さと、お一人お一人の暖かさが身に沁みた。

中心になって準備してくれた友人のひとりが翌日、
「ご両親は?安心して帰られた?」と真っ先に聞いてくれた。
個人的にはそれがこの会の主眼だと思っていたと。
会の挨拶で、いつになく(断然)饒舌になっていた父を、
やはり村のひとたちは同じような気持ちで見守ってくれていたのかも。
ありがたいな。ありがたい。

 ◇

「ゆたかさ」って、いろんなかたちでいろんな見え方をして現れる。
手にしっかり握って抱え込んだその"量"だけがゆたかさじゃない。
そのことが最近、つくづく思われます。

溺れる、と思って水を飲みながらじたばたしているときに、
ふっと力を抜いたら浮かんでいた、
というようなこともひとつの「祈り」だと私は感じていて、
それは大きな何かへの"ありよう"のようなこととも言えると思うのだけど、
それと「ゆたかさ」とはひと連なりのこと。
だからそれを、怖れることなく受け取りたい。
そして感謝のこころだけは、かたときも忘れずにいたい。
そう思っています。

 ◇

大好きな友人(そう呼ばせてね)が逝ってしまった。
会の前日に、お祝いの電話をくれたときの様子から、
その予感はあったけれど、でも、
出産の報告ができるその日までなんとか、
なんて勝手に思っていた。
会が終わって数日後、その日の様子を手紙に書いてた
まさにその日に逝ってしまった。

やっぱりどうしたってさびしいし、かなしいけど、
「(こっちも)けっこういいわよ!」とか、
「これで出産場面にも立ち会えるじゃない!」とか
いたずらっぽく笑ってる彼女の顔があまりにもリアルに思い浮かぶから、
"私のなかで生きる"ってこういうことかってストンと思えるから、
それが、うれしい。

彼女の生き方は本当に素敵だった。
あれからずっと奇跡みたいにうつくしい
ピカピカの日が続いていて、
それも、うれしい。

 ◇

あと半月ほどで、いよいよ臨月。
母ちゃんはいろんなひとに助けられて生きてるよ。
(こっちだって)けっこういいよ。
安心して産まれておいで!
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by sho-ji21 | 2011-10-10 13:45

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