■声明(しょうみょう)


昨日見に行った声明(声明)について。
声明の会という高野山のお坊さんによる活動で、
昨夜は高野山「大曼荼羅供」でした。

とにかくとっても楽しかった。
こんなエンターテインメント、他にないわ!
と思うくらい。

始まってまず「これはからっぽになったらスゴイぞ」
という予感がありました。
意識をできる限り低くするというか、
蓋を開けっ放しにして自分をカラにするような感じで
声を、響きを感じていると、本当にすごいことになりました。
「入ってくる」というか「なぞっている」?
もしくは「体験している」「組み込まれる」・・・。
なぞっているのが一番近いかもしれません。
何を、というのを敢えてがんばって言葉で言うと、
"システム"みたいなものを。

そのときは、本当にこれ以上ないくらい気持ちよく
実際に出たことはないけど、こういう状態なら
空中にぽわんと自分出ちゃうんじゃないかと思いました。
永遠に続けばいいのにー、と
ひと思いに今すぐ終わってー、が交錯する
なんともすごいひとときでした。

あとからあの感じをコトバにしたいと思って、
イメージしたものが、「大きい円盤状のオルゴール」です。
オルゴール記念館とかにしかないような大きいやつ。

凸が無数に配置された大きな大きな完璧なる円盤。
それら凸ひとつひとつが彼らの声の強弱高低であり
震えや息継ぎであり、また鐘の音や香の匂い、
ろうそくの明かり、などじゃないかと。
からっぽになった私は、そこにただ、いて、
それらにはじかれるだけなのです。ぴんぴんと。

カラになればなるほどその完璧な体系をなぞれる。
宇宙のシステム、光、
そんなものを私は'カミサマのようなもの'と
認識しているらしく、
ならばあの円盤はそれをぎゅっとモデル化した曼荼羅で、
さあ、はじかれるだけでいいから感じてごらんと
それを提示してくれるのが宗教なのかしら。
などといろいろ思いは広がりました。
何人もの、すごい先人たちの知恵のおかげで
あの円盤ができあがったことが、
そしてそれが現在もなお力強く生きていることが、
すごいあっぱれだと思いました。

私がモノをつくったり人に何かを伝えたいと思うのも
美しい景色や音楽に心がざわめくのも、すべて、
ヒトがその光に近づきたいと焦がれて求めて
もがいてる存在だから、ではないでしょうか。
それはそこにあるよ、こんなふうにね
と、かいま見せてくれる一つの優秀なツールとしての仏教に
アリガトウという気持ちです。
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by sho-ji21 | 2004-12-09 00:00 | エッセイのような

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