メモのような

私は、波だな。
水だもの。
感情=波、ではなくて、
外界の色々=波、でもなくて、
わたし自身がこの存在が、波なんだな。

だから、終わりはなくて。

拭き掃除や掃き掃除と一緒で、
「いちど整えたら終わり」ではない。

ぐるぐると螺旋状のなにかというふうに
私は(この歩みを?人生を?)認識していたけれど、
あるところからみたら実際まぎれもなくそうなんだろうけど、
螺旋状ながら登っていくなにか、
目指すべき何処かはなくてもいい。
精神的向上すら。
いろんなことは、おまけみたいに
あとからついてきてくれる。
ついてこなくってもそれはそれでいい。

私は、わたしというこの波を、生きる、
それだけでいい。
できるだけうつくしく、
できるだけ愛のもとに、
という方向性だけは見失わないよう。
ときに自らの毒にげんなりしながら、
でもどっちのわたしもわたしであることを
引き受けて、生きていく。
ひと息、ひと息、生きていく。
この三次元だからこそ、
毎瞬毎瞬降り積もるチリを、
はいていくことを、
生きていく。

すごい決意表明みたいだな、唐突に。
でも、そうだ、
これは決意表明だ。
たのしいな。
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# by sho-ji21 | 2015-07-30 10:49

3歳と40歳



息子が3歳だ。
感慨深い。
三つ子の魂が形成されてしまったのかー

 ◇

我が家は村の集合住宅。
中学校のグランドの横にある。
先日、中学校の用務員さんが木をぼんぼん燃やしていたので、
息子と見にいった。
(いちおう関係者以外立ち入り禁止なんだけど、
けっこうゆるく出入りしてしまっている。
特にグランドは幼児をリリースするにはすばらしい環境。
←車がこないからね)

たき火のあたたかさは格別だ。
息子も火に見入る。
用務員の方と時々おしゃべりなんかしながら離れがたく思っているうち、
程よい熾き火になってきた。
あーこれはあれをなにするのに最高だーうわーと、
私の頭があいつでいっぱいになってきた頃、それがばれたか用務員さん、
「芋でも焼いちゃえば」とにっこり。

半分冗談だったのだろうに、
「あの。ほんとうに持ってきてしまいたい。
一個だけいいでしょうか。」と、わたし。
そして息子と二人グランドを駆け抜け家へ戻り、
アルミ箔に包んだ芋一個と軍手を持ってまた走り、
公共の場で禁断のやきいもを仕込んだのでした。

あともう少しで良い頃合い、というときに、
理科の授業の中学生が、わらわら外にやってくる。
さすがになんとなく後ろめたく思われ、あわてて掘り出し走って退散。
(「引けーい、引けーい」)
中学校と我が家のあいだの土手に座って、
焼きたてほやほやの芋を食べる。
おやまがきれいだね、きれいだねかあちゃん、とか言い合いながら。
ご近所のおばちゃんが、なんかいいもん食べてるなーと笑いながら通り過ぎる。

ああ、なんだろう、このしあわせ。
息子は元気で、空はあおい。
芋はうまい。
他になにをのぞもうか。
と思いました。

 ◇

わたくし、しじゅうになりました。
半年くらいまえですが。
30代に乗ったときとはやはりちょっと違う響きと重みが感じられ、
おお、とオノノク思いでしたが、
そうは言いつつ最近の物忘れはひどくって
なかなか40歳の自覚もないような日々ではあります。
(ときどきふっと、この良き季節がいま、
寒さに向かう良き季節なのか暑さに向かう良き季節なのかすら見失う有様)
そんなこんなで今さらですが、
しじゅうになりました。

そしてこれ(しじゅうのわたし)、なんとなくですが、
今まででいちばん、状態が良いのです。
メンタルフィジカル両面で。
もちろん衰えもそれなりありますが、
そういう諸々を「さもありなん」と受け入れたそのうえでなお、
なんだか今、いいなあと思うのです。

 ◇

書きながら気付いたけれど、ここで言ってる「いい」っていうのは、
「ずっとよい」とも「平均的によい」ともちがうようだ。
例えば精神的なことにしてみても、こころがいつも穏やかで健やかだ、
とかではない。まったくない。
変わらず嵐も吹いて、もしかしたらその波は時に今までの比じゃなく高くって、
そんなときは「わたしはもうだめだ」とたしかにがっくりきているのだった。
まっくろけなこころで夫に毒づいたり、
疲れて息子にイライラしたり、
よからぬことになったときのその「よからぬ度数」でいえば、
きっと人生最高値だって(頻繁に)更新していそうなのだ。
じゃあいったいわたしは、
なにをもって「けっこういい」と思っているのだろうな。

よからぬことになっているさなかであっても
そんな自分を見ているそれとは違う自分がいて、
そっちが今までより育ったのかな。
そっちに戻るのが早くなったのかな。
うーん。
たぶん、あちゃーダメだったなー、ってときやことや自分に
とらわれすぎなくなったってことかもしれない。

(時々へんなことに)まじめな私は、
どんな自分にも必要以上に向き合いすぎてしまうから、
(そんな、過去何千年と女性すべてが共有してきた闇とまで
真っ正直に向き合ってどうするの、とかそういうこと)
それがずいぶん不真面目になったということで、
そのいいかげんさが、たぶん、今までになく
良い加減なんだろうな。

いつだったか、はっと気付いたことがあった。
成長って、弱さ幼さを克服してゼロに近づけていこうという発想の先には
もしかしたらないんじゃないか、というようなこと。
むしろ、自分のなかのそういう部分に気付いて、気付いたらただみとめて、という、
ちいさなちいさな作業のその先にあるようなものなんじゃないか。
ただ結果として以前と違う地平にいる自分を知るというような。

それと一緒なのかも。
暗い自分も、
おどろおどろしい自分も、
母となったからこそ出会う未知なる驚愕の自分も、
全部全部、びびらず嫌悪せず、
「ああ、こんな自分も」
とちいさくみとめる。
その先にしかない自由が、やっぱりある、
ってことなんだろう。
それはきっと、自由って言っちゃっていいんだろう。

 ◇

そんなことを、ときどき考えています。

でもほとんど、あんまりものを考えていません。

今はこの、バッタバタの日々がとてもいとおしい。
わたしなりコツコツ積み上げてきた、
こうありたい、というようなことどもが
あっさり次々ひっくりかえされていくような
この毎日が、おそろしくもおもしろい。
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# by sho-ji21 | 2014-12-18 23:22

父性、とか

人から聞いた話。
(その人はラジオで聞いた)
なので、なにぶんいろいろ不確かなのだけど、
育児中の父を夫に持つ身として(変な言い方ですね)、
とても興味深いことを聞きました。

どうやら、「父性」というやつは、はなから存在しないらしいのです。
というと語弊があるな。
どうやら、女性が、授乳したりなんだりするなか
ある程度内分泌されてきちゃうものから立ち上がってくるような「母性」、
に対応する意味での「父性」は存在しない、と。

そもそも男性たるものその本能というところだけに依るならば、
父であるよりもまず遺伝子を残す性が最優先されるものであって、
それはつまりいかに次なる健康な女性に種を残せるかということが
命題になるわけなのである。

しかし!最近の研究で、
人間のこどものにおい(とくに乳児)には、
男性ホルモンを抑制するはたらきがあるらしい、
ということがわかってきたというのです。
男性ホルモン、そう、くだんの「いかに次なる健康な…ガオー!」というやつ。

だから、里帰り出産とかしたひとは、
お子の匂いのついた何かを夫へ送るとよいのだ、
それが父性を目覚めさせるかもしれませんよ、
的なことがラジオでは締めに語られていたらしい。

すごいですね!

なにがすごいって、その程度だ、っていうことがすごい、と思いました。

自分の内部に異物がいるという感覚からスタートして、
つわりがあって、10ヶ月かかってお腹がだんだん重く大きくなってきて、
出産という経験を経て、少しずつ少しずつ母になる女。
女性ホルモンもお子を育てるという方向で放出されて、
母性の育成を助けてくれる。

そのいっぽう男にはそういう身体的変化もなく、
分泌されるなにものもなく、
本能は真逆へベクトルを向けるなか、
(お子のにおいでちょっと本能が抑えられる、程度で!)
父性を育てていたのか。
そうかそうか。
あらためて考えたら、すごいことだな。

もちろん、母性だってなんだって、
そのへんに勝手に生えてるもんじゃなく、
関係性のなかでつくられたり育て合ったりするものだと思います。
それはそう。
だけどね。

乳児のにおいで男性ホルモンがうんぬん、というのだって、
もしかしたら身体のほうが、
この時代における男性たちの取り組みに対して
ひらいて変化してきた結果の、
苦肉の最新の生理現象なのかもしれない。
と勝手に思ったり。

どうなんでしょう。

とにかく、世のお父ちゃんたち。
すごいよ。
おつかれさま。ありがとう。

 ◇

あともうひとつ、思うこと。

「親の無条件の愛」なんてよく言うけれど、
まったくもって、子の親に対する愛の無条件さには
かなうわけがない!

なんでこんなに、
母ちゃんってだけでこのひとはわたしを、
大好きでいてくれるんだ!
と、泣き出したくなる。
そして
わたしだってあなたのことが、
だいだいだいだいだいすきだー!
とか口走りながらぎゅうとかちゅうとかしてしまう。
さらにお互い、すきすきこっちのほうがすきだったらすき、
とか言いながらごろごろ転がったりしているのだ。
なんてこった。
親ってばかですね。
むう。

ケンカもしながら、迷いもしながら、
もう全部がいやになったりも、もちろんしながらですが。

今日も、どうもありがとう。
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# by sho-ji21 | 2014-07-17 22:26

うみごころ


横浜に住んでいたとき、
横浜といっても海の際とかじゃなく住宅街だったし
風向きで時々ぷんと潮の匂いが香ってくる程度だったから、
定期的に来る、無性に「海がみたい」と思う日には、
わざわざ電車に乗って海まで行った。

みなとみらいのあたりなんかでお茶を濁すんじゃなしに
江ノ島とか鎌倉とか逗子とかまで行って、
波が白波立ててざぶんと言って寄せたり返したりする様を
きちんとぼんやり、見た。
とても長い時間。

東京に住んでたときは、
ああ海、と思ってから行くにはちょっぴり海は遠くって、
ああ、となると私は、都庁に登った。
都庁最上階の展望フロアの高みから
広大なる関東平野を、やっぱりぼんやり果てなく眺めた。

海が見たい、と思うそのときは、
もちろん、匂いや音や空気やなんか諸々込みのあの「海」に
身を浸したいのではあるけれど、
でもたぶん、その一要素として私は最も強く、
あの水平線に惹かれていたのではなかったかしら。
だからその代替として、高いところから見る地平線が
「海心(うみごころ)」を多少なりとも
満たしてくれたのではなかったかしら。

きっと私は、地平線とか水平線とかを見て、
ああ遠いとかああ広いとか思って、そして、
茫漠たる気持ちになりたいんだな。
たとえそこがサハラ砂漠や太平洋沖に浮かぶ島なんかじゃなくて、
関東平野や相模湾であったとしても。

 ◇

「届かない」とか
「わからない」とか、
「なにもない」とか。

言葉にしちゃうとただのネガティブみたいだけど
そうじゃなくて、ただただそれを噛みしめたくなるときがある。
ただそれに身を浸したい、というような。

水平線までのはるか遠さ。
だれか親しい人のなかに垣間見た深み。
そういうものに、はっとしたり、クラクラきたり、
圧倒されたり、したいのだ。
いつでもきちんと、気づいていたいのだ。

わかった気になったり、
世界がちいさくみえたり、
そんなときの私は、
ろくなもんじゃないと思う。

そうか、そうなりがちだった20代の傲慢な私は、
それでもそんなとき「おいおい」と、
うみごころを発する程度の本能は、
きちんと持っていたのだな。
そういうことかもしれないな。

いま住むここは、
海からは遠すぎて。
でも空はおどろくほど澄んで高く、
雲は毎瞬ドラマティックに湧き、流れ、
山はこんなにも大きく青い。
届かないものはやっぱり届かず、
遠いものは遥かに遠い。
それが、とてもうれしい。
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# by sho-ji21 | 2013-12-23 07:12

近況をすこし


ほんのすこし、近況を。

変わらず元気に過ごしています。
「今年は異常な暑さだ!」は、信州においても例外ではなく、
(そうは言っても、ではあるけれど)
暑い暑い夏が過ぎました。
籠った熱と急な冷えとの狭間で身体は微調整をくりかえして、
最近やっと秋冬モードが身のうちに定着したような感じがしています。
いやあ、秋だ。
いろいろ美味しい。

子は、すこやかに成長中。
2歳を目前にし、順調にイヤイヤ期です。
おむつなんてなかなか替えさせていただけません。
水分補給率が200%くらいになって自重でおむつが降りてくる。
午前中はたいてい半ケツな我が子。
いろいろ笑わせてもらっています。

そして、ご連絡。
携帯を解約しました。
家の固定電話のみの生活です。
番号を知らされておりません、という方、
メールにてご一報ください。
追ってご連絡いたします。

こんな報告ばっかりな気がいたします。
ご迷惑をおかけして申し訳ありません。

どうぞ、遊びにいらしてください。
良い季節です。
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# by sho-ji21 | 2013-10-12 07:04

最近のこと


一時的にネット環境があり、久しぶりにかいています。
夫がこどもを連れてたんぼへ行ってくれたので、ひとり。
なんてことだ。ひとりだ。
それでも二階から泣き声が聞こえてこないか、
身体全体が聞き耳をたてている。
そのモードは簡単にはオフにならないんだな。

 ◇
 
こないだ、大好きなともだちが遠くに引っ越して行った。
もうその何日か前から泣きすぎちゃって、
花粉症もあいまってなんだかシバシバすらしながら、
それでもなお、えーんと泣きながら、見送った。
大きなトラックに乗って行っちゃった。

トラックが見えなくなったあとしばしの沈黙のなかさびしくてさびしくて、
でも、ああわたしもいろんなところでいろんなひとに見送られて、
ここまで流れてきたんだった、と気付いたら、
よし、今は見送るのがわたしの役目だ、と思えた。

そこで生きていく、といったらおおげさかな。
そこに留まって暮らしていく、
ということは、こういうことなんだな、って思ったよ。
こうやって見送る立場になるってことなんだな。
何かあったら帰っておいで、って言えること、
そんな場所になるということ。

もちろん、先のことはわからないけれど。
それは彼女が教えてくれたいろんな大切なことのうちの、ひとつ。
この先何があるかは、本当に本当に、まったくもってわからない。
だけど、その大きな流れを怖れないこと。
そして翻弄されているように思うときこそ、
それが自分の選んだものだって信じること。
全然そう思えなくっても、
えいやって身を投げ出すように、信じきること。

いっぱい笑って泣いて手をふれて、よかった。
いってらっしゃい。
いってらっしゃい。
こころからの、エールを。
そして、いっぱい、ありがとう。

 ◇

こどもは日々ぐんぐん成長しています。
最近二足歩行をはじめました。
直立して自分の意志で移動できるってことは
これほど人間にとって喜びなのか、と驚愕するほどです。
そして、こんなにも毎瞬が新発見と新体験の
おどろきと喜びでみちみちであるところの存在と
一緒にいられるということが、私自身うれしくてならない。
わはは!って思う。
どうもありがとう。

そしていつも支えてくれる夫にも、心からの感謝を。
あなたがいてくれて私は本当にうれしい。

 ◇

一昨日のてるちゃんのライブがものすごくよかった。
こどもたちが描いた絵と旗の下で
てるちゃんの声がやわらかく広がってた。
泣けるほど、空間まるごとよかったな。

「だから だいじょうぶ
 なにがあっても だいじょうぶ
 ぜんぶ わたしごのみ」

ホントね、てるちゃん。
ぜんぶ、えらんだこと。
だいじょうぶ。

さて。洗濯物をほしてきます。
お母ちゃんの休憩時間、久しぶりにつれづれ(だらだら?)書きました。
書くことがやっぱり好きだな。
また書こう。
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# by sho-ji21 | 2013-03-17 10:22

十月十日に思うこと

世に言う、妊娠期間であるところの「十月十日」。
その同じ時間が、息子の誕生後過ぎようとしています。
おぎゃあと出てきたあの日を折り返しとして、
下界パート1(胎内)とパート2(雑多で奇妙な、このすばらしい世界)。

ちょうどそんな折、彼も「突発性発疹」を経験しました。
生後半年から1年くらいでほとんどの人がやるという、
いわゆる「トッパツ」。

40度以上の高熱が続いて眠れなかったりで、
かなりきつそうでしたが、落ち着いた今、
彼なりにやり遂げた感があるらしく、良い顔してます。

生後何ヶ月かは、母からもらった無敵の免疫で守られていて、
今、それが効力を失い、免疫機能を自らせっせと作っている。

「免疫をつくる」ということは、
自と他を見分け、他を排除しようとする力を得ること。
それは言い換えれば、そのようにして
「自分」をつくっているということ。
ちょうど借りていたある本に、そのようなことが書いてあった。

ああ、そういうことか、と思いました。
全部がひとつ、みたいな世界から来たばっかりの人が、
そうやって自分とそれ以外のあいだに境界線をひいて、
そういう線をグリグリ何本もかさねていくことで、
デッサンみたいに自分の輪郭をつくっていく。

すごい作業をしているな。
もう、見守らせていただくしかない。
敬意しかないぞこりゃ。
そう思いました。

 ◇

最近、つくづく思う。
親が子にしてやれることなんて、たかがしれてる。
何かを与えてあげるなんてもう、思わないほうがいいんじゃないか。
ほとんど、「できるだけじゃましない」くらいの気持ちでいるほうが
合ってるんじゃないか。
っていうくらい。

私が親や親のまた親から引き継いだ諸々。
そういう世代間のことやこの社会や文化から得た、
いろんな考え方や価値観。
そういういろいろをもう私は、
無意識に渡してしまうことによって
彼をしばっていくのだから。

それらが「害」だ、っていう話ではなく。
もうそれはそうなのだから、だからこそ、
私が私自身のなかを整理して風通しをできるだけ良くしておきたい。
意識にのぼってもいないようないらぬもので
彼を阻害することが、できるだけ、できるだけ、
ないように(最小限であるように)、私のなかを。
そここそが、この三次元に来てまもない小さいひとへの私の、
最も大きな責任なんじゃないか。

彼に対してできる具体的なことっていったら、
たとえば、熱で苦しいときは一緒に寝不足になるとか、
ゴチンとしてギャーと泣いたら抱きしめるとか、時々もらい泣きとか、
立派なウンチが出たら一緒に喜ぶとか、
そんな程度だ。きっと。

そして、あなたがそんなにもスバラシイ、ってことを伝え続けること。
これでもか、ってくらいにこれはもう、
そうさせていただく。

 ◇

あなたの父ちゃんは小さいころ、
あれ、飛べるんじゃないか?って思って
うっかり屋根から飛んだらしいよ。( →骨折)
きっとその延長でチャリに乗って、やっぱりうっかり、
なんちゃら大陸横断とか縦断とかしちゃったんだ。

それこそが、すべての可能性の源。
ほんとのほんとは、きっと空だって飛べる。
わかってるけど、でも私は、
屋根から飛ぼうとするあなたを止めるだろう。
それはもう、止める。叩いても、止める。
だから、母ちゃんのことは「じゃまをするひと」と
思ってくれて間違いない。
じゃまをする、が前提だ。
私も自分で自分に、そう刻もう。

 ◇

世界はうつくしいし、信頼に足る。
どんなに混沌としてみえても。
たぶん、自分を信頼できたら、
世界をあなたは、肯定できる。
きっと、そう。

あなたの空を飛んでおくれ。
せっかくだから、この世界をたのしんで。

母のちいさな願い。
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# by sho-ji21 | 2012-09-27 08:54

ことば

友達と話すなかで、
私のなかの大切な言葉が今また思い出された。

何年も前にある人からいただいた言葉。
ふっと思い出すその時々で陰影を変えながら、
しかも都度おどろくほどのみずみずしさで、
何回でも何回でも入ってくる。
ことほど、言葉とは、いきもののよう。

「でもね。
ちくっとしたらよける、っていうことは、
とても大事なことなの。
丁寧に生きるって、
そういうことだと思うのよ。」

ちくっとしたそのときに、
刺した相手(とか、痛みの原因)に憤ったり、
痛くなかったふりをしたり、
痛みに耐えたり立ち向かったり、
その反応は、いろいろ。
痛みに気づかないときすらある。

その方は、ただただ、
痛いなと思ったらよけなさいと言った。
なんてシンプルなことだろう。
それが自分の体に対する責任で、
そこにこそ、誠実でありなさいと。

私は、傷をひらいてみたり、
なぜ痛かったんだろうと追求したりしがちで、
時にはあろうことか、そのちくちくから離れずに
「痛い」「ああ痛い」「ほんっとに痛いぞ」と
痛さを確認し続けたりもしていた。
そして、どこかでそれらのことをこそ
"丁寧さ"だと思っていた。

彼女はさらに、笑ってこう言ったのだ。

「他人なんて、愛さなくっていいの。
自分を愛しなさい。」

そのとき私は、この言葉を
譲歩つきで理解した。
「無理をしてまで」他人を愛そうとしなくていいのよ、
というようなことをおっしゃったのかな、と。

でもそれから何年かたって、
これは文字通りのことばだったんだ、と気づいた。
自と他が自分の内側でベロンとひっくりかえるような体験のあと、
ふとしたときに、この言葉が入ってきた。

「他人なんて」
「愛さなくって」
「いいんだ」
(吃驚)

それは、本当に驚愕だった。
愛と呼ばれるもののベクトルは
1ミリだって自分の中心からはずしちゃいけない。
分割して何割かは向かう先を分散させていいもの、
なんかじゃない。
あんなふうに笑って軽やかに、
すごいことを言ってたんだ、と思った。

でもそれだって、その言葉の真理、とかじゃない。
と、今思う。
私がそう受け取っただけ、という意味では、
言われた当初とそのときと何も違わないんだ。

その方は、もういない。
いないけど、言葉は生き続けている。
これから先も、きっと違う光を帯びたりしながら、
時々私をびっくりさせながら、
蛇みたいに鳥みたいに、ツタみたいに、
言葉は生きていくんだろうな。

わたしのなかには、
本当にたくさんの人がくれた言葉がいる。
それらが生きてくれている限り、
私のこころは死なないだろうと思う。
比喩じゃなく、思想としてでもなく、
具体的なものとして確かにそう思う。
それがとてもうれしい。
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# by sho-ji21 | 2012-07-16 08:13

絵のこと


イラスト展、明日5/20までです。
(今日は、おやすみです。)

e0092614_7564522.jpg


こんな会場。
(庭は初夏に向かう緑に溢れて。あまりにもうつくしい!)


e0092614_7582042.jpg


こんな絵とか、


e0092614_801779.jpg


こんな絵など、大小30点くらい。
(販売もしています。)

あとは、書きためたスケッチや絵日記。
絵札を担当した、中川村の方言カルタ。
以前書いた言葉と、挿絵的にペン画をあわせた冊子もつくりました。
ベンチに腰掛けてじっくりゆっくり楽しんでほしいです。


e0092614_814251.jpg


これは15日の夏秋さんライブで、一緒に描かせていただいた絵。

雨に濡れるワーズワースの庭の緑と、夏秋さんの奏でる音。
ああ、「場」って本当に様々なものの相互作用でできていて、
みっちり"ひとつ"だなあと実感できる、素晴らしい体験でした。
夏秋さん、来てくださったみなさん、
本当にありがとうございました。

夏秋さんのブログ
そのときの様子をのせてくださっています。)

 ◇

ちいさいころからずっとずっと、
どんなときも変わらず描き続けて来た絵のことを、
こんなふうにひとつの形で見ていただくことができて、
本当にうれしい。
機会をくださったワーズワースの清水さんに、
心からの溢れる感謝を。
見にきてくれた、大好きなひとたちも。
そしてあたらしい出会いにも。

ありがとう。
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# by sho-ji21 | 2012-05-19 08:02

夏秋さんのライブ

ギャラリーワーズワースさんにて
庄子早苗イラスト展、開催中です。

5/15(火)は、夏秋文彦さんのライブです。
 お茶とお菓子付き¥1500  
 PM1:00開場 
 PM2:00開演
問い合わせ → 0265-83-7910

当日でも可とのこと。
お誘い合わせのうえ、お越しくださいね。

 ◇

夏秋さんのこと。

以前から気になるアーティストだったので、
私が伊那谷に来て少したったころ、
夏秋さんが東京から移住してきたらしいぞとの噂を聞いて
色めき立ったものでした。

はじめて生で演奏を聞いたのは駒ヶ根のクラフトフェアにて。
そのために、ステージにほど近い木陰を出店場所にしたりして。
鍵盤ハーモニカを両手弾き循環呼吸で、という
ユニークなスタイルの演奏は、
ちょっと興奮してしまうほどかっこよかった。
その夕暮れ、すれちがったときに思わず
「ファンです」だか「好きです」だったか、
私が口走ったのが、出会い。

その後、大工である夫が家のことを手伝わせていただいたり、
暮らしぶりをのぞかせていただいたりするにつれ、
夏秋さんのことがどんどん好きになりました。
ものすごい"つかいて"なんだけど同時に抜群の柔らかさ。
そういう、武蔵の好敵手剣術家として、
バガボンドに出てきそうな方です。

明日、どうぞ演奏を聞きにいらしてください。

 ◇

ギャラリー ワーズワース
長野県駒ヶ根市赤穂4556-5
0265-83-7910

赤穂小学校裏です。
駐車スペースが僅かですので、
当日は乗り合わせのうえお越しください。
また、駒ヶ根市役所の駐車場から徒歩5分です。
ご協力をお願いいたします。
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# by sho-ji21 | 2012-05-14 08:31

イラスト展

長野も行きつ戻りつ、春です。

谷から吹き上げてくる桜吹雪が好きです。
あ、桜と思いながら通り過ぎて、風が吹いて花が舞って…、
という段階を経ずに、姿の見えない足下の山桜から
花びらがぶわっと風にのってくる。
包まれた瞬間の、あのはっとする感じ。
また、また、来年。

 ◇

お知らせです。
一昨年ガラスの個展をさせていただいたりと、
いつもお世話になっている駒ヶ根のギャラリーワーズワースさんで、
イラスト展をさせていただくことになりました。

最近、絵をかくのがとてもとてもたのしいのです。
草とか食べ物とか、ドキリとすると描いてます。
ゴシゴシガツガツ描いてた頃とはまた違う見え方で
活き活き迫って来た何かを、かき留める作業は幸せ。
ぜひ覗きにいらしてください。

5/15には、鍵盤ハーモニカの
夏秋文彦さんのライブがあります。
なんていってもかっこいい。

「庄子早苗 イラスト展」
5/7(月)~5/20(日)

■会期中のお休み 
5/10(木)
5/19(土)


■場所
ギャラリー ワーズワース
長野県駒ヶ根市赤穂4556-5
0265-83-7910

■時間
11:00~17:00

■会期中のイベント(問い合わせ:0265-83-7910)

 5/8(火)ランチとお絵描き 終了しました
  ¥1700 AM11:00〜 
 
 5/15(火)夏秋文彦さんのライブ!
  お茶とお菓子付き¥1500  
  PM1:00開場 
  PM2:00開演
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# by sho-ji21 | 2012-04-24 19:08

あけましておめでとうございます。


おくればせながら、
あけましておめでとうございます。


そして、ご報告がおそくなりましたが、
昨年、無事男の子を出産いたしました。
めくるめく(!)毎日のなか、
少しずつ少しずつ、母にしてもらっています。
生後約50日。
日々右肩上がりでムクムク成長中。


彼にとって、世界はどんなふうだろう。
いまだ言語を持たないひとにとっての、世界は。
感じた空気や感覚を、言葉に置き換える作業抜きで
そのまま感じきるということ。
我々には想像も及ばないような、
そんなダイレクトな今をたぶん生きているんだな。

そんなことを昨日、旦那さんと話しました。
(そんな話をするだけの余裕が出てきたのね)
あなたのお世話係その1(おっぱい出るほう)と
その2(おっぱい出ないほう)は、
あなたと一緒にいられるのが
嬉しくてしょうがないよ。


「ようこそ地球へ」とは、
谷川俊太郎さんの言葉。

出て来た子にまっさきに
こんな素敵な言葉をかけたかったけど。
助産婦さんのご自宅の一室で産まれた我が子を、
へその緒のついたまま濡れたまま胸に抱えて、
そのときはまるで言葉がありませんでした。

ようこそ。
ここに来てくれてありがとう。

 ◇

暖かくなる頃には、ちょうど首が座ってくるはず。
今から散歩がたのしみです。

まだまだまだまだドタバタですが、
なんとかやっています。
どうぞ、遊びに来てください。


最後になりましたが、
今年もどうぞ宜しくお願いします。


庄子
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# by sho-ji21 | 2012-01-12 13:12

つれづれ


我が家のお米も無事に収穫を迎え、秋晴れのなか"はざ干し"中。
今年は何も手伝えず夫まかせだったけれど。
(お世話になった方々ありがとうございました。)
ここ数日の溢れんばかりの日差しの神々しさといったらない。
さぞや美味しいお米になるだろう!
次の1年を思い、ふつふつと満ちてくるような喜びを感じます。
なんて豊かなこと。

 ◇

先週、村で結婚のご挨拶の会をした。
ずっと体が動かなかったので
出産前は厳しいねと言っていたのだけど、
「年内のご挨拶を」との思いはあって、
落ち着いてきた今、小規模でもと滑り込み臨月まえに。
(遠方のみなさまにはお声をかけられず、
申し訳ありませんでした。)

友人の古民家を会場にお借りして
みなさんにつくっていただいた会は、
小規模なんてものではなかった。
沢山の方が思いを持ち寄ってきてくださった。
ハタチそこそこの小僧っ子だった夫が現在に至るまで
この地で築いてきた人とのつながりの濃さを改めて感じたし、
そのあまりの尊さと、お一人お一人の暖かさが身に沁みた。

中心になって準備してくれた友人のひとりが翌日、
「ご両親は?安心して帰られた?」と真っ先に聞いてくれた。
個人的にはそれがこの会の主眼だと思っていたと。
会の挨拶で、いつになく(断然)饒舌になっていた父を、
やはり村のひとたちは同じような気持ちで見守ってくれていたのかも。
ありがたいな。ありがたい。

 ◇

「ゆたかさ」って、いろんなかたちでいろんな見え方をして現れる。
手にしっかり握って抱え込んだその"量"だけがゆたかさじゃない。
そのことが最近、つくづく思われます。

溺れる、と思って水を飲みながらじたばたしているときに、
ふっと力を抜いたら浮かんでいた、
というようなこともひとつの「祈り」だと私は感じていて、
それは大きな何かへの"ありよう"のようなこととも言えると思うのだけど、
それと「ゆたかさ」とはひと連なりのこと。
だからそれを、怖れることなく受け取りたい。
そして感謝のこころだけは、かたときも忘れずにいたい。
そう思っています。

 ◇

大好きな友人(そう呼ばせてね)が逝ってしまった。
会の前日に、お祝いの電話をくれたときの様子から、
その予感はあったけれど、でも、
出産の報告ができるその日までなんとか、
なんて勝手に思っていた。
会が終わって数日後、その日の様子を手紙に書いてた
まさにその日に逝ってしまった。

やっぱりどうしたってさびしいし、かなしいけど、
「(こっちも)けっこういいわよ!」とか、
「これで出産場面にも立ち会えるじゃない!」とか
いたずらっぽく笑ってる彼女の顔があまりにもリアルに思い浮かぶから、
"私のなかで生きる"ってこういうことかってストンと思えるから、
それが、うれしい。

彼女の生き方は本当に素敵だった。
あれからずっと奇跡みたいにうつくしい
ピカピカの日が続いていて、
それも、うれしい。

 ◇

あと半月ほどで、いよいよ臨月。
母ちゃんはいろんなひとに助けられて生きてるよ。
(こっちだって)けっこういいよ。
安心して産まれておいで!
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# by sho-ji21 | 2011-10-10 13:45

改めてご報告

 
ご無沙汰をしております。
母子ともになんとか順調です。
「なんとか」なのは母のほうだけで、
どうやら、お子のほうはとても元気。
11月末には出産予定です。

ただでさえ連絡滞りがちな日々、
加えて携帯が壊れてしまいました。
まったくデータも救出できず、
さらに番号も変わってしまいました。
ああ。ごめんなさい。
しばらくはパソコンのアドレス(george_sne☆yahoo.co.jp ←☆は@)
のほうへご連絡いただけますでしょうか。

「しょうがねえなあ」という方、
やはりこちら(george_sne☆yahoo.co.jp ←☆は@)
まで連絡先をお教えいただけるとうれしいです。
折り返し、新しい番号をお知らせします。

いろいろご迷惑をおかけしております。
よろしくお願いします。

庄子

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↑イメージ図
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# by sho-ji21 | 2011-09-08 07:45

お詫び


今週末(14日・15日)、倉敷で行われるクラフトフェア
フィールドオブクラフト倉敷」に出店させていただく予定でしたが、
体調不良により出店を見合わせることとしました。
たのしみにしてくださった方、及び関係者のみなさまには、
ご迷惑をおかけしてしまいますことを、心からお詫び申し上げます。

倉敷は、実行委員の方々が本当に丁寧につくっていらっしゃる
クラフトフェアだなあと感じます。そこにちいさな穴をあけてしまうこと、
出店したいとたくさんの方が思う場にたいせつなひとつの席を
いただいていたのにということ、その重みを感じます。
本当に申し訳ありません。

体調不良といっても、病気ではないのです。
年内出産予定なのですが、つわりが思ったよりもつらく、
寝たり起きたりという日々。どうにか倉敷までには
落ち着いてくれまいかと思っていたのですが…。

今はパソコンのディスプレイを見るのがしんどいので、
もうしばらくここの更新もお休みいたします。
つらいながら、妊婦という生体(生態?)のあれこれには
不可解かつ面白い、と唸ったり笑ったりもさせられています。
そんなことも、また少しずつ書きたいです。

よろしくお願いします。

庄子早苗
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# by sho-ji21 | 2011-05-10 17:48 | ガラスのこと

今のこと

あるメルマガで、原発を、
(ナウシカの、目が赤い状態の)オームと同じ「いきもの」
としてたとえていらっしゃるのを目にしました。

昨日の夜も、友達のひとりが
同じようなことを言っていました。
今までありがとうって思うよ、と。
はっとしました。

そうだった。
すべては人間のやったこと。
"原発"自体が悪いわけではない。
異常な活動を、休むことなくさせてきたのは、
わたしたち人間だ。
こうなることをわかっていながら、
止められなかったのも、やっぱりわたしたち。
ありがとう。あなたからの恩恵に。
そして、ごめんなさい。

危険な状態に置かれている方たち、
避難を余儀なくされた方たち、
今も必死に食い止めようと現場で働いている方たち。

それらの方々への祈りと共に、
これからは原発に対しても祈ろうと思います。

 ◇

私の住む場所は被害もほとんどなく、
通常通りの生活が送れています。

それでも、あの揺れからずっと、
毎瞬毎瞬、自分のまんなかを
問われているように感じます。

現状を把握して、できることを考え続けることは
もちろんとても、とても大切なこと。
でもそうしなければとの使命感から情報過多になり、
不安や無力感で押しつぶされないように。
まず自分の軸のありどころを見失わないように。

何もできることがないように思えても、
各人がその場所で、まずは自分のこころに、
責任をもつこと。

自分の「だいすき」や「うれしい」をたいせつにすること、
いつもどおりであることやまわりの人と笑いあえることに、
罪悪感を持つんじゃなく、
今だからこそそれが力になると、信じます。
感謝を忘れずに、そうありたいと思う。

少しでも多くの人が笑顔でいれますように。
そして、今つらい人が一刻も早く、
大丈夫になりますように。
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# by sho-ji21 | 2011-03-17 12:27

ありがとうございました。


茶房「木々」さんでの、庄子早苗ガラス器展。
昨日の20日をもって終了しました。

本当にたくさんの方が見に来てくださいました。
心から感謝いたします。
新しい、うれしい出会いもたくさん。
最終日に、木々さんが手渡してくださったご芳名帳。
書かれたお名前ひとつひとつの重みったら!
まさにこれこそが宝だなあと、しみじみ思いました。
ありがとうございました。

これからもどうぞ、よろしくお願いします。

 ◇

木々さんが、その日々のあれこれを
つづっていらっしゃるブログはコチラ

期間中は行きそびれちゃったーという方も、
あのご飯を食べに、ぜひ。
(そして、木々ママとのおしゃべりも!)
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# by sho-ji21 | 2011-02-21 22:22 | ガラスのこと

東西南北


前回に続き、私の住む伊那谷
(伊那市周辺のこの辺りをこう呼びます)のことを。

ここは北から南へ、ズバーンと天竜川が縦断しています。
そして東に南アルプス、西に中央アルプスが
その川を挟むように壁になっています。
そんな独特な谷なのです。
諏訪湖から太平洋まで(?)の、長ーい谷。
そんななので、国道も線路も、
基本色々が南北にバーンと走る。

という、わかりやすい地形ゆえ、
このへんの人はなんでも「東西南北」で言います。
東のお山・西のお山、川の東・川の西。
それどころか、「国道を東に入ってそれから北、
西に3軒家が並んでるからそのいちばん南の家の、
トラックがとまってる西側のプレハブね。
北のほうに入り口があるから。」
みたいなことを平気で言います。
すごい。

そしてそれが独特なことだということを、
あまり彼らは自覚していない。
それがまた、おもしろいです。

と、思っていたら。
先日、国道沿いのスタンドでガソリンを入れて
「お帰りどちらですかー?」と聞かれたとき、
「○○(地名)方面です。」と言う代わりに、
短くきっぱり、「南へ。」と答えていました。

「南へ。」

なんかの冒険者みたい。
もしくは啓示を受けた博士たちとか。
かっこいいな、と自分で笑ってしまいました。

少しずつ、少しずつ、ネイティブへ。

 ◇

飯田の茶房木々さんでの展示、
おかげさまで盛況です!
どうもありがとうございます。

残り期間、1週間となりました。
(今日また、追加でいくつか並べてきました。)
どうぞ足をお運びくださいね。
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# by sho-ji21 | 2011-02-13 23:09

月市~つきいち


2009年に移り住んだ、ここ長野県中川村。
食べ物も色々美味しい。景色も美しい。人もおもしろい。
なんとも豊かな場所なのです。

その中川村から、美味しいものあれこれを
東京の友人のカフェで開催される月イチ市、
その名も「月市~つきいち」にお届けいたします。

自由が丘 cafe イカニカ 『月市~つきいち』
2月6日(日) 12時より

== 信州 中川村から美味しいものいろいろ ==
・自然農を営む天晴農園から、大人気の瓶詰あれこれ。
  紅玉りんごジャム
  紅玉チャツネ
  青トマトチャツネ
・大人の部活動「みそ部」より、
 目から鱗の美味しい手づくりお味噌。(完全無添加)

その他の常連ラインナップもすごい。行きたい。
詳しくは、コチラを。

 ◇

カフェイカニカは、以前のご近所仲間、
とっても素敵なご夫婦がやってるカフェです。
奥さんのかずみさんはフラワーコーディネーターで、
その、花や生活に対する、愛あふれる姿勢は
なんともうつくしいのです。(著作:「いつも、花のこと。」)
しかもおもしろい。あんな美人なのに。
ワハハ、ホント大好き。かずみさん。

旦那さんのやすじさんは元々音楽畑の人ですが、
カフェをやられる前から、その美味しい料理には
幾たびとなく泣かされてきました。
(「ヤスジごはんが食べたいー」と、定期的に甘えては。)
あんなご飯をつくる、あんな素敵なマスター。
悩みごとなんか洗いざらい話してしまいそう。

 ◇

先日、久々にカフェに遊びに行ったとき、
中川自慢から話がビュンと、「ならば」って具合に、
月市に参加させていただけることになりました。やったー
これから毎月、すこしずつご紹介していけたらと思っています。

好きになった人のことを、好きな人に紹介したい。
単純にいえばそんな動機。
ここからなにかしらのつながりが、
生まれていったら素敵だな。
そう思っています。

関東のみなさん、どうぞおでかけくださいね!
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# by sho-ji21 | 2011-02-05 22:38

木々さん


飯田の茶房、木々さん。
オーナーは林さん。
だから、「木々」。
毎月1日から20日まで休まず営業して、
月末にスパッと休むという営業形態。

そんないろいろから、
林さんの潔さがうかがえるよう。
お話していてもその姿からは
凛とした気配が立ち上ります。

昨日は、木々さんでのガラス器展の初日でした。
お昼にいだだこうと決めていたのは、
月替わりの「ごちそうさまセット」。
これ、今まで基本的に、
同じお品を出したことがないのだそう。
お肉やお魚を使わずにここまでの満足感、
というだけでもものすごいことなのに。


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美味しくて美味しくて、夢中で食べたその後に、
記憶をたどりつ描いたスケッチ。
(このスケッチ帳もご覧いただけるように、
ガラスの展示期間中、置いてあります。)


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展示の様子。イラスト数点も。


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明るい大きな窓からは、風越山も正面に。



のんびり長居したくなる場所です。
ぜひ、足をお運びくださいませ。
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# by sho-ji21 | 2011-02-02 19:51 | ガラスのこと