今年こそ、浜田真理子を聴きにいくぞ。どこかに1泊したってかまわない。
ただただ、生の浜田真理子を聴くためにそれをするぞ。
と思っていたら、向こうから来てくれた。
来るとわかったときの歓喜ったら。
まだフライヤーもできていない段階ではあったが、問い合わせて予約をいれた。
わくわくというよりも、もはやぞわぞわする(寒気?)。
当日は、居ても立っても居られず開場少し前に着いてしまった。
エレベーターを降りるとそこがロビーになっており、
物販や受付の方々がもうそろって歓談している。
がしかし、その前にいらっしゃるあの後ろ姿はもしや。
なんとご本人がベースの水口さんとサックスのまりえさんと共に、
そこにいらっしゃった。
好きすぎると、そこから発動される感情は、恐怖に少し似ている。
足がすくむ。すくむにはすくむが、気づかなかったことにするには少し距離が近い。
そのまま挨拶までできてしまった。
しかし肝心の「わたし浜田真理子さんの大ファンで」
との告白は、何故かとなりの水口さんに。
いやや、おかしい。これではだめだ。
開き直って向き直り、
「子育てでいちばんしんどいときに、
浜田さんのうたを車で繰り返し聴いていて、救われました。
ありがとうございました」とだけ言えた。
「えー、そんなうた(子育て応援ソングみたいなの?)あったっけ?」
と軽やかに笑ってくださる。
なんて暖かい声だ。この声がいまわたしに、と思うともうだめ。
それ以上の気の利いた会話なんてできるわけがない。
今日はたのしみですと、しどろもどろに言うのがせいいっぱい。
「あざした!」とそのままエレベータに乗って、
帰ってしまいそうな気持ち(達成感?)。
そのあとのライブはただただ至福だった。
最前列まんなかという、もう心残りはないというほかない席にすわり、
涙や鼻水がぼたぼたと流れるにまかせた時間だった。
◇
そんな歌あったっけ?
に対して、浜田さんに言いたい。
すべてだよ。浜田さんの出すピアノのひとつの音が、
浜田さんの歌いだしの声の震えが、
すべてがわたしを救ったよ。
子育て真っ最中のわたしのこころに、
子育て応援歌なんて一個も届かなかった。
そうじゃないんだ。
誰かが焼いてくれたCD-Rではじめて聴いたそのときから、
浜田真理子のうたうブルースに、むかしの歌謡曲に、
浪曲の節まわしに、オリジナルのやさしいメロディに、
ずっとしびれてた。
出産後、それ以前とあまりにも生活すべてが変わってしまって、
自分の好きなものがなんだったかも忘れてしまった。
何が食べたいのか、何に対してどう考えるのかすら。
産前イコール過去生みたいだった。
でもその日々のなかで、浜田真理子を聞いてしびれてるときのわたしは、
変わらず「わたし」のままだったんだ。
自分の輪郭が溶けてスライムみたいになって、
それをかき集める時間さえなかったのに、
それでもそのスライムのどこかに
かつての「わたし」のカケラはかわらずいて、
それが浜田真理子を聴いていた。
浜田真理子を口ずさんでいた。
いかないでとつぶやく女に共振して、
毒を盛ってそれが愛なのとのたまう女にふるえて、
酒場で酔客をからかうように歌う女に憧れた。
おおげさじゃなく、その時間が「わたし」を、
生き延びさせたんだとはっきり思う。
好きすぎると、こころのなかでの「さん付け」とか忘れちゃうようね。
徳川家康っていうのと同じテンションで、
もはや浜田真理子だ。
浜田真理子、ありがとう。ありがとうございました。
あの歌もあの歌も、歌ってくれてありがとう。
# by sho-ji21 | 2023-11-20 11:35 | エッセイのような